2010年9月30日木曜日

なごやんの新・鉄道日記(1)シュヴァルツヴァルト

まだ、このブログには慣れていませんが、とにかく始めることにします。


★プロローグ

なごやんの鉄道日記全50回では1年間にわたり旧国鉄現JRの鉄道を眺めてきました。そのシリーズは既に終了しています。
なごやんの続・鉄道日記ではそれらを補完していきます。これは間遠ながら継続させます。
今回新たに加えた「なごやんの新・鉄道日記」では外国の鉄道の経験を書きます。これもボチボチ思い出したように書いていきます。

最近では内勤だけになってしまいましたが、少し前まではちょくちょく外国出張があった私は、その国へ行く時にはやむを得ず空路でしたが、着いてしまえば原則として陸路、しかも鉄道を利用しました。そのため、同行者と別行動をとったり、のんびりした観光をミスったりもしています。
一方、思わぬ出会いがあったりもします。
そんなこんなを綴っていきます。
残念なのは、その時代、あまり写真を撮っていないということです。

第1回は貴章つながりというわけではないですが、シュヴァルツヴァルトを含むドイツ南西部での経験です。

★いざ、ドイツへ

何年か前のある日、仕事でドイツへ出張しました。行き先は歴史と学生の街、ハイデルベルクです。

4月25日
名古屋空港(0900)~~~~成田空港(1300)~~~~フランクフルト空港(1814)---[DB]---(1840)マインツ中央(1906)---[IR 2313]---(2000)ハイデルベルク中央 (泊) (DBはドイツの国鉄、IRはドイツの急行、インターレギオです。)
ハイデルベルクへ着いたのは夜。次の日にはドイツでの仕事場にもなるホテルにチェックインして寝るだけでした。

★アルテ ハイデルベルク

4月26日~29日
ハイデルベルク滞在

街からはそのホテルまでケーブルカーで行かなければなりません。山腹のこの駅を降りてあるのは私たちの泊まっているホテルだけで、街へ出て遊ぼうなんてことは全くできません。















ハイデルベルク城を横に見てケーブルカーでホテルへ行きます。  

★ネッカー川

途中休日がありましたので、その時にはケーブルカーで街へ下りました。












ケーブルカーとそのきっぷ (切符に印刷されている HSB は Heidelberger Straßen- und Bergbahn の略で、無理に英語を充てれば Heidelberg's Street- and Mountain Rail といったところでしょうか。)

街ではネッカー川を舟で下りました。













ネッカー川を下るなごやん
★シュヴァルツヴァルトへ

4日間の仕事は終えたのですが、そのまま帰国するのはもったいないと考えた私はもっと離れた場所、スイス国境の街、コンスタンツに敢えて別の「仕事」を作りました。
いや、実は・・・シュヴァルツヴァルト(Schwarzwald~黒森)を通ってみたかったのが本音というのは内緒です。折角、ハンブルクやベルリンではなくハイデルベルクへ来たのですから。













ドイツ南西部のインターレギオ

4月30日
ハイデルベルク中央(0845)---[IR 2473]---(1213)コンスタンツ (泊)

私が訪独した頃、ハイデルベルクからはインターシティーはなく、インターレギオ(Interregio)という急行で行きました。この路線、ハイデルベルクを出るとカールスルーエからオッフェンブルクへ向かい、そこからシュヴァルツヴァルトを通ってドナウエシンゲンに入ります。ドナウエシンゲンからはジンゲンを通り終着コンスタンツです。貴章の住む(もうそろそろ住処は決まったかな?)フライブルクはかすってしまいます。
















インターレギオ2等車の乗車券

いくら憧れのシュヴァルツヴァルト行きであっても、私は決して1等車などには乗りません。ごくフツーの2等車です。あまり綺麗でありませんが、その国の文化を直に感じることができます。

★国境の学園都市コンスタンツ、ボーデン湖

コンスタンツドイツスイスにまたがる街で、ホテルは駅から比較的近いところにありました。

私はコンスタンツ大学理学部物理学の先生を訪ねたのですが、初対面にもかかわらず、その日の夕食は彼の家で奥さんの手料理でした。アスパラガスの季節ということでクタクタに茹でた白アスパラガスがボウル一杯に出てきたのには少々閉口しましたが、日本では高級品ですから、たくさんいただきました。奥さんは国境を越え、スイスで働いているそうです。ほとんど国境の意識はありません。

コンスタンツ大学理学政経人文の3学部を有し、それぞれの分野で実績のある、ドイツの中でも堅実で優秀な大学のひとつです。
建物が斬新だったのが印象的でした。プロローグにも書きましたが、この頃私は写真を撮る習慣がありませんでしたので、パンフレット類や切符しか残っていません。今から思えば残念です。

















国境の街コンスタンツの駅舎はドイツ側とスイス側にひとつずつあります。コンスタンツ大学は丘の上にあり、ボーデンゼー(湖)を見下ろしています。

コンスタンツへ着いた日のランチはその先生と2人でボーデン湖畔で摂りました。そこにあるのは「静寂」でした。シーンとして人工的な音は一切ありません。ナイフとフォークをカチャカチャいわせる音すらありませんし、出せません。
時折、鳥の鳴き声や木の葉のカサカサいう音、かすかな風の音がするだけです。こんな静けさは私が幼い頃にも経験したことがありませんでした。
貴章も、何かの折には独りでここへ来るといいのに・・・

結局コンスタンツで「仕事」をしたのは4月30日の午後だけでしたが、大学へ行き、非常に濃厚な時間を過ごせました。

夕食後の1時間強と5月1日の朝だけちょっとした買い物に街を歩きましたが、そろそろ帰らなければなりません。

★あ~あ、また現実回帰

コンスタンツから最も近い空港はスイスのチューリッヒ空港で、1時間もせずに着くのですが、ひとつの目的だけで日本を出た私のパスポートで入れる国はドイツだけですので、フランクフルトまで戻らざるをえませんでした。もちろん、空路でフランクフルトへ行くテもあったのですが、陸路優先、列車優先が私のポリシーですので、インターレギオで戻ることにしました。













ドイツだけで有効なパスポート(いわゆる一次旅券)

5月1日
コンスタンツ(0949)---[IR 2100 Bodensee]---(1415)フランクフルト中央(1445)--<地下鉄>---フランクフルト空港(2050)~~~~ (泊)

帰りのインターレギオにはボーデンゼーというニックネームが付いていました。

5月2日
~~~~成田空港(1850)~~~~名古屋空港

次の日職場へ行くと1週間分ため込んだ仕事、そして戦いの日々が待っていました。
つかの間のドイツ出張 でした。

超久しぶり

MSNのブログが今年いっぱいで終焉を迎えます。

これまで約3年半「なごやん」を続けてきましたが、そろそろ引っ越ししておこうと思います。

引っ越しに当たっては、いくつかのブログを試してみました。



このブログがスッキリしていていいかなと思いました。

とりあえず、先日書いた新・鉄道日記から始めてみます。